lptitle02

深い生の流れは、私たちが日々接する喜びや怒り、悲しみが立てるさざ波とはあまり関係がなく、ただ滔々と流れ続けます。そして私たちが何かを意志するとき、その流れは外の世界の障害物とぶつかって、大きな飛沫をあげます。私たちが自分の重さと形を知り、この世界と関わること、すなわちこの世界に実在するためには、外の障害物が必要となります。私たちには、深い生の流れを直接コントロールすることはできませんが、何かを意志することはできます。そして、それだけが、私たちが自分の生を自分のものとすることができる唯一の方法です。

それは、ささやかなものなのかもしれません。朝早く起きること、掃除をすること、仕事をすること、人と話をすること…。どんな小さな瞬間にも、私たちは不断に意志し続け、そしてその事実だけが、私たちの生を揺さぶり、重さを与え、意味を見いだし、私たちをこの世界に結び付け、留めます。そしてそのような、ささやかだが確かな積み重ねの持つ重さだけが、表現というものを裏打ちすることができると、私は考えます。

目の前の白い画面は、ままならない外側にゴロンと存在します。私たちは、何も解らないままその外側に何度も爪を立て、ぶつかり、弾かれ、壊されます。描くことは、盲目のまま瞬間にしか生きられない私たちの、ささやかな手探りの方法のひとつなのではないでしょうか。

時間の中を、止めることもできないままに流れる生に、そっと寄り添い、しかし揺るがない意志として滔々と流れ続ける“描く”。そのような、突出した感情やイメージに支えられるのではない、意志に支えられた確かなものが、今この世界には必要とされているのではないでしょうか。

日々の生活を送るように、当たり前のように描くこと。確かなものを見つけることの難しいこの世界のなかでは、そんな当たり前なことを人それぞれに持って、それを丁寧に続けることだけが、地に足のついた本当の生へと繋がる道なのではないでしょうか。

会期中は毎日、会場にて墨汁によるドローイングを行い、その作品を順次床に広げてゆきます。そこに何が現れるのか私にも分かりませんが、一緒に何か確かなものを感じ取ることができれば幸いです。