和出伸一・2000のドローイング SIGNALを見に行った

南家識子

「早く行こうよ、中村君」

「誰?君?」

「僕?僕はへびいぬ」

「へびいぬ?確かに四本足で犬みたいだけど、口と尻尾はへびみたいだけど」

「でしょ?だからへびいぬ」

「でも色はピンクだよ。そんな色した蛇も犬も僕は見たことないよ」

「もうそんなことどうでもいいから!早く!早く行こうよ中村君!」

「どこへ行くの?それにどうして僕の名前知ってるの?」

「知ってるよ。だってそこでは中村君も魔物になるんだから」

「魔物?」

「あ……いいから早く!早くみんなに会いに行こう」

「みんな?」

「みんな待ってるよ!ほら!」

地上から空のてっぺんまで覆いつくすかぎりの魔物の群れ。昔をたてずに四方から僕のことをなめ回すように見ている。脅えて声が出なくなるかと思ったけれど、大丈夫。なぜならそれらは小さな画用紙に閉じこめられているから。僕に触れようと思っても触れられない。見上げるばかり。とても多すぎて数えられない。

「へびいぬ、いったいどれだけいるの?」

「2000!」

「2000!?」

「みんな中村君のことを待ってたんだ」

羽根をなくした黄金色のカブトムシ。傾いて今にも谷におっこちそうなワイン色した屋根車。顔を削がれたぴちぴち水色のおたまじゃくし。うさぎの耳した若草色のきりぎりす。つやつやのオレンジ色してごろごろ転げ回っている生首。

「知ってるでしょ?知ってるでしょ?ねえ僕のこと知ってるでしょ?」

 みんな一斉に僕に話しかけだして大合唱。

「僕の本当の名前を呼んでよ!」

「名前?」

みんなどこかで見たことあるけれどはっきりとはわからない。記憶の奥底に入り込んでくるんだけれども、だけどもやっぱりわからない。だいたいなんだ。この虫カゴに入ったうさぎの耳したキリギリスってのは。身体の大きさはうさぎなのに虫カゴに入れられてものすごく窮屈そうだ。

「へびいぬ。こいつの名前なんて言うの?」

「うさぎりすだよ」

「うさぎりす?」

「なんかどこかで見たこと……」

「知ってる?うさぎりすを知っていたら早くほんとの名前を呼んであげて!

 よく見ると耳の後ろに小さなホクロ。

「ぴょん太!?ぴょん太だろオマエ?その耳の後ろのホクロは。どうしてこんな所に?3年前に死んだのに。ああ懐かしい。どうしてここに?へびいぬ!あいつ僕が飼っていたうさぎだよ!出してあげてよ虫カゴから!」

「あれ?へびいぬは?」

さっきまで僕の足下で尻尾を振っていたへびいぬが、いない。

「へびいぬは逝っちゃたよ。向こうへ」

冷たいうさぎりすの声。だけどもどこか含み笑いを噛み殺したような声。

そしていつの間にか画用紙から抜け出して僕の足下にいる。

「向こう?」

「順番なんだ」

「連れて来たやつに知り合いがいれば向こうの世界に逝ける。そいつがほんとの名前を呼んだ瞬間に逝ける。そうして今度は僕が誰かを連れて来る役になる」

「え?」

「2000の魔物はたった今1999になった」

「え?」

「わからない?」

空に浮かび上がる真っ白い画用紙。

「ご主人さま、今度はあなたの番だよ」

全てを理解して息を止めた瞬間に、僕の目の前にそれは飛んで来た。

「あなたが2000番目になる時だよ」

しゅっ。画用紙の中に僕は吸い込まれた。

 

 

絵の一枚一枚から発している合図を自分の影で受信して、それぞれの物語を奏で出す。楽しい話も、悲しい話も、思いもよらなかった結末も、ここでは自由に描けてしまえる。それはきっと天国でも、地獄でも、もちろん俗世でもない、もっと全てを笑いとばした色と形で構築された狭間の空間がここにあるからだ。

(なんけ・さとこ/図書館員)

芸術館季報RAKU vol.33 p.12(京都造形芸術大学発行)