2005.11「Life / Painting」

2005.11.15 (tue) – 20 (sun)
京都造形芸術大学 ギャラリーRAKU(京都)

 深い生の流れは、私たちが日々接する喜びや怒り、悲しみが立てるさざ波とはあまり関係がなく、ただ滔々と流れ続けます。そして私たちが何かを意志するとき、その流れは外の世界の障害物とぶつかって、大きな飛沫をあげます。私たちが自分の重さと形を知り、この世界と関わること、すなわちこの世界に実在するためには、外の障害物が必要となります。私たちには、深い生の流れを直接コントロールすることはできませんが、何かを意志することはできます。そして、それだけが、私たちが自分の生を自分のものとすることができる唯一の方法です。

 それは、ささやかなものなのかもしれません。朝早く起きること、掃除をすること、仕事をすること、人と話をすること…。

 どんな小さな瞬間にも、私たちは不断に意志し続け、そしてその事実だけが、私たちの生を揺さぶり、重さを与え、意味を見いだし、私たちをこの世界に結び付け、留めます。そしてそのような、ささやかだが確かな積み重ねの持つ重さだけが、表現というものを裏打ちすることができると、私は考えます。

 目の前の白い画面は、ままならない外側にゴロンと存在します。私たちは、何も解らないままその外側に何度も爪を立て、ぶつかり、弾かれ、壊されます。描くことは、そんな盲目のまま瞬間にしか生きられない私たちの、ささやかな手探りの方法のひとつなのではないでしょうか。

 日々の生活を送るように、当たり前のように描くこと。確かなものを見つけることの難しいこの世界のなかでは、そんな当たり前なことを人それぞれに持って、それを丁寧に続けることだけが、地に足のついた本当の生へと繋がる道なのではないでしょうか。

 会期中は毎日、会場にて墨汁によるドローイングを行い、その作品を順次床に広げてゆきます。そこに何が現れるのか私にも分かりませんが、一緒に何か確かなものを感じ取ることができれば幸いです。



2005年11月 和出伸一

2004.2「SIGNAL 和出伸一・2,000のドローイング」

2004.2.10 (tue) – 15 (sun)
京都造形芸術大学 ギャラリーRAKU(京都)

 私は、この世界には巨大なモンスターが潜んでいると感じている。

 この世界の中に潜み、この世界を覆い、否応なしに私たちの中に侵入してくるあのモンスター。それは遠い昔からこの世界に潜んでいて、私たちを突き動かしている獣だ。

 私は最近、ニュースに、街に、TVの中に、流行の音楽の中に、そのモンスターの影を感じて怯えている。

 現在の私たちは、価値を裏付けていた伝統も反抗すべき権威も失い、孤独な不安の中に一人で立たされようとしている。地に足の着いた生活が、伝統の安定が、権威の威光が、あのモンスターを飼いならしていたのに、信じられるものが何もなくなりつつある今、あのモンスターは楔から解き放たれ、野放しにされようとしているのかもしれない。


 岐阜県吉城郡神岡町の地下1,000mに、スーパーカミオカンデという東京大学宇宙線研究所の宇宙素粒子観測施設がある。直径39.3m、高さ40.4mの純水で満たされた巨大な円筒だ。この施設は、素粒子の一種であるニュートリノを観測するための装置である。地球を貫通するほどの強い透過性をもっているというニュートリノの性質を利用して、余計なノイズを完全に遮断するために、この装置は地下深く埋められているそうだ。そしてニュートリノは、純水の中を通過する時に光を発するという性質をもってる。この微かな光を捕えるために、円筒の内壁には無数の光電子増倍管という目玉のようなセンサーがびっしりと設置されている。

 私は、この装置の有り様に強く想像力を喚起させられる。



 地底深く埋められた奇妙な天文台。

 暗い水で満たされた巨大な円筒。

 その閉ざされた内部のみを見つめ続ける無数の眼球。

 なんでも通過する幽霊のような信号を捕らえる装置。



 この展覧会は、そのような装置をギャラリーの中に設置しようとする試みだ。

 あのモンスターは、それ自体では姿形を持たず、言葉や理性では捕らえられない。「描く」という単純な装置は、そのモンスターが私たちの中を通過する時に発する微弱なシグナルを捕らえることができる感度を持っている、と私は考えている。

 過剰さによってしか超えられない場所で、私は描くことの持つ力の一つを確かめてみたいと思う。その力は、自閉の闇に落ち込む危険に常にさらされている私たちの灯台となり、モンスターを直視する強さを私たちに与えてくれるはずだ。

 この装置の中心に立つとき、あのモンスターは私たちの前にその姿を現すだろう。



2004年2月 和出 伸一